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始まりはコスモスの種。世界の人たちと作り上げた公園

釜石の西の玄関口・甲子(かっし)地区。山あいの集落に子どもたちの歓声が響く場所があります。「創作農家こすもす」です。この公園と農家レストランを切り盛りする藤井了(さとる)さん・サヱ子さん夫妻を慕って全国から人が集まり、さらに人が人を呼び、こすもすを中心とした大きなコミュニティが広がっています。

創作農家こすもすの始まりはコスモスの種でした。釜石出身のふたりですが、了さんの仕事の関係で盛岡市で3人の子どもたちを育て上げました。両親の介護のため一足早く釜石に戻ってきたサヱ子さんは「先祖からの田んぼを荒らしたくない」と休耕田に種を撒きました。するとたくさんのコスモスの花が咲き、自然と人が集まるように。その様子を見たサヱ子さんは小さな産直を開き近所の人たちの野菜を販売、さらには地産地消のレストランを開店させました。「お父さん(了さん)に内緒でお店を始めたの」といたずらっぽく笑うサヱ子さん。「懐かしい人が来たらタダで振る舞うからいつまでたっても赤字だよ」と苦笑いする了さん。2010年には定年退職した了さんもUターンし甲子で歴史ある神社の神職に。甲子での穏やかな日々が始まりました。

「先祖からの田んぼを荒らしたくない」と休耕田にコスモスの種を撒いたのがすべての始まりでした。コスモスを見に集まった人たちに甲子のものを買って行ってもらいたい、と産直を開設し、それがレストランに発展しました。サヱ子さんの頭の中は常にやりたいことにあふれています

そんな日常を変えたのは東日本大震災でした。ふたりは釜石市中心部に車で向かっていたところ大きな揺れに襲われ、すぐに引き返しました。「あと10分早く家を出ていたら逃げ切れなかったかもしれない」。甲子に津波の被害はありませんでしたが、釜石の中心部や海辺の集落では大勢の人が亡くなり、家を失った人たちは避難所での生活を強いられました。「あの時、命をもらったから恩返しがしたい」。震災から数ヶ月後、了さんはコスモス畑を子どもたちの遊び場にしようと思い立ちました。被災した人たちの仮設住宅を建てるため公園が使えなくなっていたのです。

同じころ、レストランこすもすに外国人が食事に来るようになりました。聞けば、日本在住のアイルランドやニュージーランド出身の若者で、被災した保育園の修繕の手伝いに来ているとのこと。無料で振る舞うと、しばらくして「ごちそうになったお礼がしたい」と再び訪ねてきてくれたのです。遊び場づくりの計画を話したところ、自然に負荷の少ないパーマカルチャーを実践している若者たちは、穴を掘り、山の木を伐り、公園を作っていきました。1年かけて東京と釜石とを行き来しながら作業する若者を自宅に泊め、家族同然に暮らしました。

日本在住のアイルランドやニュージーランド出身の若者たちが次々と釜石を訪れ、近所で邪魔にされていた木や了さんの山から伐り出した木を活用し、泊まり込みで公園をつくりあげていきました。


釜石はよそから来た人をあたたかく受け入れるまち

世界中から集まったボランティアとともに作った公園は無事完成し、沿岸の各地から子どもたちが遠足で訪れるようになりました。シンボルの大きな壁画も2人に共感した人が人をつなぎタイ在住の日本人画家が描いてくれたもの。世界からの人を受け入れてきた了さんとサヱ子さん。「私たちには地元の人も外から来る人も関係ないの。人と人がつながって外国からも応援してもらって私たちだけではできないことが実現しましたからね」。サヱ子さんは「釜石の良いところは企業城下町でたくさんの人が入ってきていたせいか、よそから来た人をあたたかく受け入れるところ」と言います。外と内とをわけ隔てることのないふたりは「釜石の良いところ」そのものです。

人が人をつないで完成したこすもす公園。訪れる人からの提案でクライミングウォールができたり、小屋が建ったり……。今も手づくりで進化を続けています。シンボルの壁画も人のつながりによってタイ在住の画家・阿部恭子さんが手がけることになったもの。壁画の一部の絵は釜石の大人や子どもがみんなで描きました

その後もふたりのもとを訪ねる若者は後を絶ちません。中にはそのまま釜石で暮らす人も。会社のボランティア休暇の制度を使って半年間住み込みボランティアをした女性は、今は現地に拠点を置く企業の社員として釜石で暮らしています。「こすもすは地元の人が場所をつくって、かかわっている人たちがみな子どもたちの笑顔のためにひとつになっていて大きな家族みたい」と語ります。そして彼女が東京で働いていたころの友人もふたりの人柄に惹かれて釜石に移住し、地域の特産「甲子柿」を広める活動をしています。

「外から来た若い人たちの力もあって最近、甲子柿も盛り上がってきたんです。若い人はまず動いて世界にむけて発信する。地元の人間だけではできなかったことです」と了さん。サヱ子さんも「外にむけてPRしてくれたおかげで東京でも甲子柿の応援団ができて、この前は関西の大学生から『甲子柿を食べて釜石を応援したい』って連絡が来たの」と微笑みます。 釜石の玄関口で迎えてくれる了さんとサヱ子さん。みんなから慕われる「釜石のお父さんお母さん」は今日もこすもすで誰かが来るのを待っています。

藤井 了・サヱ子 Fujii Satoru , Saeko

ともに釜石市出身。岩手県職員だった了さんの仕事の関係で長年、盛岡市で暮らした後にUターン。2007年に開店させたレストランこすもすは同年、岩手県主催「中山間の集い」むら・もり・うみ女性アグリビジネス活動表彰を受賞、今も地元の親子連れなどでにぎわっている