釜石移住のポータルサイト

釜石市街地から世界遺産に認定された橋野鉄鉱山に向かう道を車で走ること30分。広葉樹が生い茂る山あいを抜けると、道路沿いに2頭の馬とふれあう人の姿が見えてきました。馬の名は、アサツキとピーナッツ。一緒にいるのが、黍原豊さんです。 インタビューのために訪れた黍原さんの自宅は、築90年の曲がり屋で、屋外には柵で囲まれた馬の運動場も備えています。 黍原さんがこの古民家でアサツキとピーナッツと共に営んでいるのが、一般社団法人 三陸駒舎(以下、三陸駒舎)。東日本大震災の影響を受け、ストレスを抱えた子どもたちに対しホースセラピーによる心と体のケアを行いながら、馬とともに暮らすエコツーリズムを展開し、かつて馬中心の暮らしをしていた地域文化の再生に取り組んでいます。

現在、黍原さんは釜石市橋野地区に住まいをおいて2年目。「移住したばかりでも、近所の方が馬を懐かしがって話しかけてくれることが多くありました。そうして、動物や子どもをきっかけに、地域の方たちとも自然に馴染むことができましたね」と黍原さん。現在はアサツキとピーナッツの他に、2匹のうさぎと1頭のヤギも一緒に暮らしています

愛知県出身の黍原さんが岩手に移住したのは、県内の大学に進学したことがきっかけ。卒業後、児童館や「NPO法人岩手子ども環境研究所」での勤務を経て、2013年4月に釜石市に移りました。 「震災後、妻が釜石出身ということもあって、釜石の復興支援に長期的に関わりたいなと思っていました。それで、何かできないかと釜石を巡っている時に『三陸ひとつなぎ自然学校』のメンバーと出会ったんです。私のそれまでの経験や知識が、この人たちの活動に生かすことができるかもしれないとイメージが湧いたのが、釜石に移住を決める大きなきっかけになりました」

三陸ひとつなぎ自然学校は「地域のために立ち上がり、挑戦する人が多いまち、釜石」の実現を目指し、地域資源を活用した体験プログラムやインターンシップのコーディネートなど、釜石と地域内外の人を「つなぐ活動」を行っている団体。黍原さんは、移住当初、総務省の復興支援員制度を利用した「釜石リージョナルコーディネーター」の一員として、三陸ひとつなぎ自然学校の活動に参画していました。事務局のサポートを務めながら、黍原さんが特に注力していたのは「放課後子ども教室」の運営。鵜住居(うのすまい)地区、栗林地区の仮設住宅で暮らす子どもたちの居場所づくりを行う事業です。 「仮設住宅に伺うと、子どもたちが周りの大人達に迷惑をかけないように、ひっそりと過ごしている様子が見られました。遊ぶことが禁止されているわけじゃないけど、仮設住宅は音が響くこともあり、子どもたちがどこか大人の目を気にしながら生活していて、とてもストレスを抱えているように見えました。子どもたちの心のケアをする活動は長期的に必要だと思いつつ、どうしてもボランティアが来ないと対応できないこともある。ボランティアに頼らずに継続的に活動することができる仕組みを作らなければと考えました」

その頃、黍原さんが出会ったのが、国内のホースセラピーの第一人者である寄田勝彦さんです。 寄田さんからホースセラピーについての説明を受けた黍原さんは「釜石の子どもたちが馬と触れ合う機会をつくることができたら」と、寄田さんに依頼。2013年の春、寄田さんが連れてきた3頭の馬と市内の仮設住宅や保育園等を回りました。 「子ども達が馬と出会った時に、本当にいい顔をしていたんです。僕もそれまで子どもに関わる色々な活動をしていたんですが、馬と一緒にいる時の子どもたちが一番いきいきとした表情をしていて、馬には敵わないなと思いました。それに、馬を連れて市内を回っていたら珍しがる人よりも、懐かしむ人のほうが多くて。その時に橋野地区ではかつて馬がいる生活が当たり前だったということを知ったんです。未来をつくる子どもたちのケアをしながら、地域文化の再生ができるならこれは絶対この地域に馬がいたらいいなと感じました」

「僕は仕事と生活の時間を切り分けていません。仕事だと考えるとしんどいなって思ってしまう。特に区別はせず、楽しんでやっていますよ」と黍原さん。里枝さんや娘さん、馬との充実した生活を送っています。

子どもたちだけでなくこの地域のために馬が重要な役割を担ってくれる。そう考えた黍原さんは2015年4月に三陸駒舎を設立。続けて、馬と共に暮らすための家探しを始めます。地域の方に、声をかけて見つかったのが今の住まい。水回りなどの設備は工務店に依頼しながらも、天井や床貼りなど、ほとんどを手作業で改装しました。 「改装のお手伝いをしてくれた方はのべ800人。開業するために行ったクラウドファンディングも92人の方からご支援をいただきました。これまでたくさんの方が手を貸してくれたおかげで今まで事業を続けることができています。1人ではできないことが多いので、本当にありがたいですね」

黍原さんのご自宅は、母屋と馬屋が一体となっている築90年の「南部曲がり家」。かまどで火を炊くと、その暖かい空気が馬房に流れる等、同じ屋根の下で馬と人が生活を共にする工夫が施されている住宅です。なるべく従来の古民家の良さを生かして、改装作業が行われました。

古民家の改装を終え、2016年にアサツキとピーナッツを迎え入れ、三陸駒舎の事業をスタートした黍原さん。現在は、三陸駒舎に登録している20名ほどの利用者に対し、月1回から週1回まで利用者に合わせた頻度でホースセラピーを行っています。 黍原さんは妻の里枝さんと小学生の娘さんとの3人暮らし。馬のお世話は、黍原さんを中心に家族みんなで行っています。 「うちではアサツキとピーナッツに朝ごはんを与えるところから1日が始まります。その後、自分たちも朝食を食べ、馬房の掃除、運動などのお世話をして、お昼ごはんを与えて、自分たちもお昼ごはん。基本的にうちは馬ファーストの暮らしなんです。現在は馬と関わることにフォーカスを当ててホースセラピーを行っていますが、これからは特別にプログラムを用意するのではなく私達の生活に沿った内容をそのまま提供する『馬の暮らし型セラピー』ができたらいいなと思っています。私達の生活にそのままハマってもらうことで、いろいろな体験を提供できたらいいですね」

黍原さんが実現しようとしているのは、子どもたちに「自分にはこれができる」という有能感を実感してもらうこと。それは黍原さん自身が自らの生活で一番意識していることでもあります。 「自分から『何かをやりたい』という気持ちが出て、実践してみたら何かが変わったとか、自分の持っている力が何かのためになってるとか、自らの手で生活をつくりだしている実感を得ることが暮らしの豊かさに繋がると思っています。誰かがつくった正解に向かうのではなくて、正解も不正解もない、自分のやりたいことを実践できる暮らしがいいですよね」 馬と共に暮らす生活によって、自分のやりたいこと、釜石の子どもたちのこと、両方を考える黍原さん。黍原さんはこれからも「自分でつくる暮らし」を日々実践していきます。

黍原 豊 Kibihara Yutaka 

岩手県内の大学を卒業後、NPO法人岩手子ども環境研究所、県立児童館いわて子どもの森での勤務を経て、2013年4月に釜石市へ移住。「釜石リージョナルコーディネーター協議会(通称:釜援隊)」として三陸ひとつなぎ自然学校の活動に携わった後、2015年4月に一般社団法人三陸駒舎を設立。子どもの心のケアを行うホースセラピーと、馬とともに暮らす地域文化の再生に取り組んでいる