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東日本大震災をきっかけに、自分の働き方や暮らす場所について、改めて考えるようになったという人が増えています。

震災が発生する1年前に、大学生の頃から住まいを置いていた広島県から生まれ育った釜石市へUターンした加藤志織さん。「一度市外に出たことで改めて地元の良さがわかった」という加藤さんにとっても、震災後、自分がどこで暮らして、働くのかは大きな課題となりました。

「震災の後、県外の企業や自治体の優秀な方たちがたくさん釜石に来てくれていました。そんな中『釜石のために何ができるんだろう』と考えると、自分は何の役にも立てないんじゃないかと思って。私は釜石にいてもいいのだろうかと悩んでいましたね」

何か特別なことができるわけではない自分がこのまま釜石にいてもいいのだろうか。たくさんの考えを巡らせて、それでも加藤さんが決意したのは「釜石で暮らすこと」でした。

「自分に何も能力がなくても、ここに住んで働いて、自分ができる精一杯のことをすることが、釜石の復興に繋がるんじゃないかなって、自分の中ですっと納得できる日が来たんです。それからは、自分が釜石にいたいと思っている気持ちが上手く言葉にできるようになって、『ここにいてもいいんだ』って思えるようになりました」

釜石に住んで、働くことを決意した加藤さんは、NPO法人@リアスNPOサポートセンターの仮設住宅支援連絡員や市の臨時職員を務めた後、現在勤務している「釜石まちづくり株式会社」に就職しました。

「市民ホールができるまでは、3人で会社を運営していたので、本当に何をしていたのか思い出せないくらい忙しかったです」と加藤さん。釜石まちづくり株式会社の取り組みは、この共同店舗「タウンポート大町」の建設から始まりました

「釜石まちづくり株式会社(通称フェリアス釜石)」は釜石市の中心市街地、大町地区のエリアマネジメントを行うことを目的として設立。釜石市が打ち立てた3つのフロントプロジェクトのうちのひとつを担っています。加藤さんは、代表取締役の谷澤栄一さん、管理部長の下村達志さんと共に会社の設立当初から事業に携わっています。

「私は管理部に所属して、総務と経理の仕事を担当しています。設立当初は総務も経理の仕事もわからないし、建設やその後の施設の管理運営に関する知識もなかったので、初めてのことばかりを経験する日々が続いていました。1つの施設の建設を終えたら、その管理運営が始まり、また次の施設が完成すると指定管理者として施設の管理運営が始まるというペースで仕事をしていたので、息つく暇もなく、時間が過ぎていましたね」

釜石まちづくり株式会社が指定管理を行っている「釜石市民ホールTETTO」。ホールやギャラリー、会議室等を備え、コンサートや演劇、公演、展覧会などが行われています。名付けたのは地元の小学生。釜石と鉄のつながりを表す「鉄都」という造語とイタリア語で屋根を意味するtettoが由来です。

釜石まちづくり株式会社は、共同店舗「タウンポート大町」を2013年に建設し、運営。その他に市が建設した「釜石情報交流センター」、「釜石市民ホールTETTO」の管理、運営を行っています。大町地区内で計画していたすべての施設が完成し、これからは「いわゆるソフト面の充実」に力を入れていきたいと加藤さんは意気込みます。

「今までは施設を建設したり、その後のオペレーションを整えていくことでいっぱいいっぱいでした。これからは釜石に住んでいる人たちに『このまちは楽しい』と思ってもらえるような活動に取り組んでいきたいです。そのためにはまず自分自身がこのまちを楽しいと感じられることが重要だと思っています。自分が楽しいと感じられるものなら、きっと他の人たちにその魅力を伝えることができると思う。釜石に住むみなさんがそれぞれ、自分のいいと思ったことが、他の人に伝わっていくような環境をつくっていきたいですね」

加藤 志織 Kato Shiori

大学進学を機に広島県で過ごした後、2010年4月に釜石にUターン。NPO法人@リアスNPOサポートセンターのスタッフや市の臨時職員を務めた後、2014年4月、釜石まちづくり株式会社に会社の設立と同時に入社。中心市街地である大町地区のエリアマネジメントに携わる